英語を学ぶだけが英語教育ではない
英語のためだけの英語教育ではない
こんにちは、エンパパです。
0歳から英語で
娘に話しかけている
生活をしています。
英語を使えるために英語を勉強させているのではない
私は英語を使う
仕事もしているので
周りから
「英語を使えていいね。」
と言われることもあります。
それはそれで
確かに英語が出来て
便利な部分はあるのですが、
それだけではありません。
これだけAIやITや
Iotなどと言われている
世の中です。
「英語ができなくても
ツールがあるから大丈夫」
という時代になりつつあります。
例えばソースネクストが
開発した翻訳機
というものがあります。
私はこれをニュースで
見たのですが、
非常に性能がよさそうな
印象を受けました。
こういう翻訳機があれば
今後英語を使えることに
あまり意味はないのではないか
と考えております。
しかし、それは
英語が使える
という点だけを
捉えた場合です。
英語を勉強することで他の文化に触れるきっかけとなる
英語を勉強していてよかった
と思うことの1つとして
「世の中にはたくさんの
国があり、それぞれは
それぞれの考え方がある。」
を実感できることです。
恐らくこれは翻訳機で
会話するだけだと
分かりえないことだと思います。
例えば、英語には複数形
という概念がありますよね。
an apple, two apples
という風に学校でも習いました。
日本語では
スーパーでは
「りんごってあります?」
と聞くときにわざわざ
「りんごって複数あります?」
とは聞きませんね。
しかし、英語では
少なくともスーパーでは
Do you have an apple?
とは使われません。
日本語では
「単数か複数かは
言わなくてもわかるでしょ?」
という文化に対して、
英語は
「単数か複数かを
はっきりして言う」
文化であるからです。
これは1つの例でありますが、
それ以外にも日本は外国とは
異なることが多いのです。
英語を学習する段階で
どうしても異文化理解は
避けて通れませんし、
その異文化理解こそが
英語を学ぶ目的でもあります。
また、よく言われるように
異文化を理解することは
自国の理解にもつながります。
まとめ
英語が使えなくても
生きてはいけますが、
使えるようになることで
様々な事を学ぶことができます。
私はそのために
子どもに英語を教えていきます。
20171107更新